なぜ、根性論はだめなのか

福岡・中洲のブラック企業で働くサラリーマン・ジャイキリがお伝えします。

今回は、『なぜ、根性論はだめなのか』についてお話をしたいと思います。

今日の目次は以下の通りです。

 

1, 『根性論』と間違った努力の関連性

2, ガムシャラに打ち込むことが努力ではない

3, 正しい努力とは何か?

4,  まとめ・明日からのアクションプラン

 

1, 『根性論』と間違った努力の関連性

私がなぜ、『根性論はだめなのか』と思うのは、

・目標を達成するためには、頑張るしかない

・目標を達成するために、苦しいことを我慢することが努力

という考えのもと、間違った努力をしてしまった経験があるからです。

 

それは、高校時代の大学受験の時でした。

私は、旧帝大の一つ、九州大学を目指し受験勉強を行っていました。

偏差値は、67~70。自分の偏差値は高校3年時、51~55程度だったと記憶しています。

今考えると、無謀すぎる希望ですが、当時の自分は、

・頑張ればなんとかなる

・睡眠時間を削って勉強する

・遊びの時間を我慢して、勉強にあてよう

と本気で思っていました。

 

そして…

・週1回だけ夜3時まで勉強

・夜7時に寝て、25時~29時まで勉強

・学校で寝る

という無茶苦茶な生活をしていました。

 

当時の精神状態は本当に荒れていましたし、当然成績も伸びませんでした。

結果成績は伸び悩み、自分自身は第一希望を諦めることになりました。

 

2, ガムシャラに打ち込むことが努力ではない

大学受験での間違った努力=根性論で行っていた努力は、とにかくガムシャラに量をこなし、自分の体を痛みつけるようなものだったと思います。

結局、自分の限界を超えた期間限定の頑張りというのは、背伸びでしかなく、本質的な問題解決になっていませんでした。また、受験勉強というある長期戦を、睡眠時間を削り、余裕のない精神状態で戦い続ける、というのは体力的に不可能です。

 

当時の自分は、『これだけ頑張っているからいつか報われるはずだ』と本気で思っていましたが、今振り返ると“間違った努力”しかやっていないですね。

 

3, 正しい努力とは何か?

では、反対に正しい努力とは何なのでしょうか?

この事例から踏まえると、自分の考える正しい努力とは、

『目的にあった努力をすること』だと考えます。

 

今振り返ると、自分自身が大学受験で叶えたかったこと=目的は、

・『九州大学に受かったたんだ、すごいね』と承認欲求を満たしたかった

・『福岡』というある種、都会に憧れた

という浅い考えだったと思います。

 

この場合の『目的にあった努力』だと、

・目標とのギャップを考える

・ギャップを埋める課題を考える

・それに見合った努力をする

ことだと思います。

つまり、

・ゴールから逆算して今何をすべきか

・目的がないまま行動しないこと

が改めて大切だと感じました。

 

4,  まとめ・明日からのアクションプラン

いかがでしたか。今日は自分の失敗談を含め、お話させていただき、

『なぜ、根性論はだめなのか』についてお話させていただきました。

 

まとめると、

・頑張ればなんとかなる

・苦しいことを我慢することが努力

という根性論を持つことは危険であること。

 

常に目的ありき、ゴールありきで行動を考えることが大切、

というお話でした。

 

それでは皆さん、よい1日を。